うつ病とわたし〜0か100か〜

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うつ病とわたし
1.〜精神疾患とは無縁だった学生時代〜
2.〜初めて死にたいと泣いた日〜
3.〜初めての精神科、適応障害〜
4.〜地獄の中で支えになった人〜
5.〜長崎県での返り咲き〜

→前回から続きます…

2013年、社会人3年目。
わたしは早くもガス欠を起こしかけていました。
2012年から1年間、自分の出せる200%の力を
仕事に捧げてきた。
寝る間を惜しみ絞り出せる体力を限界まで出し切り
1年間の評価をいただいた後、わたしは
今まで通り200%の力を出すことが
できなくなっていたんです。

その時は気づいていなかったけれど、
今振り返ると2012年の1年間は
双極性障害の長い躁状態にあったと思います。
わたしはしばらく後で双極性障害と診断され
その病名を知ることになるのだけれど、
この時は燃え尽き症候群かな、なんて
考えていました。

*

仕事で燃え尽きたぶん、わたしは
何も成果を上げなくても
ただただ存在を認めて欲しいと
思うようになっていました。
そんなわたしを満たしてくれたのが、
付き合い始めた今の夫でした。

夫とは2012年7月から付き合い始めて
今では7年目の仲になるのですが、
今までずっとわたしの存在を認めてくれました。
仕事ができる時もできない時も、
生きてるだけで偉いんだよ、と
神様のような声かけをし続けてくれています。

当時 仕事100% プライベート0%だったわたしは
仕事50% プライベート50%くらいで
過ごしたいと思うようになりました。

けれど…わたしは昔から0か100かでしか
生きられない不器用な人間だったので
仕事とプライベートの両立を図ることが難しく
仕事も中途半端、プライベートも中途半端な自分に
だんだんと病むようになっていきました。

続く…→〜仕事と結婚どっちを取るか〜

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