うつ病とわたし〜長崎県での返り咲き〜

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うつ病とわたし
1.〜精神疾患とは無縁だった学生時代〜
2.〜初めて死にたいと泣いた日〜
3.〜初めての精神科、適応障害〜
4.〜地獄の中で支えになった人〜

→前回から続きます…

2012年4月、社会人2年目。
わたしは、適応障害を乗り越え
新天地で返り咲こう、と
人生最大の覚悟を持って長崎県に向かいました。

新しく配属された営業所は
長崎県と沖縄県を担当する、
社内でも1番平均年齢の低い、
若くエネルギッシュな営業所でした。
わたしは誰よりも早く事務所に出社し
他社のどのMRよりも長く病院を歩き回り
深夜2時までPCを開いてトークを文字起こしし、
PCを開いたまま朝5時に起きてメール処理をし…と
仕事の結果につながるようなことは
思いつく限りなんでも取り組みました。

そして、3ヶ月が経った頃。
わたしには、もう無理をしなくても
うまくいくルーチンが完成していました。
誰よりも明るく前向きに、と取り組んだ結果
社内だけでなく社外でもいろんな方に
応援してもらえるようになっていました。

*

話は少し変わりますが、
この4月から3ヶ月経った7月。
人生最大に仕事に勝負をかけ 命を懸けていた時期、
今の夫との付き合いが始まることになりました。
このあたりから、今後の人生
仕事に一生をかけるのか結婚する道もあるのか、と
色々と思いを馳せることになります。

*

時は経ち社会人2年目の3月。
期末評価の時期に、わたしは課長に呼ばれ。
同じ営業部での総合評価の中で
1番の評価を得たことを知りました。

うつ病で死にたかった過去を乗り越えて。
わたしは死んでも手に入れたかった
社内No.1の評価を受け取ることができたのです。
そこまで引き上げてくれた上司に
感謝の思いを伝え、
すぐに「行ってきます」と事務所を出て、
車の中で1人嬉し泣きをしました。
本当に本当に、生きていて良かった。
この時、わたしはようやく
肩の力が抜けたように思います。

全てがうまくいった2年目のわたし。
ただ、少し肩の荷が下りた3年目に、
今後の人生に悩むようになります。

続く…→〜0か100か〜

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