うつ病とわたし〜初めて死にたいと泣いた日〜

History 記事はこちら
うつ病とわたし
1.〜精神疾患とは無縁だった学生時代〜

→前回から続きます…

入社が決まった大本命の会社は、
東京に本社がある外資系製薬会社。
少数精鋭を謳っており、新卒同期も15名と
他の大手の製薬会社と比べると
かなり少ない方でした。
まずは入社して半年間は、
MR認定試験の受験のため
施設に缶詰で勉強に励みました。

このMR認定試験という試験は、
今後得意先で営業として活動するには
必要不可欠の試験です。
入社から半年間は勉強の期間として
時間もお金もかけてもらっているぶん、
不合格はありえない試験でした。

ただ、そんな試験を前に、わたしは
全く試験勉強ができずにいました。
そもそも同期の中でも1番学歴が低く、
記憶力も応用力もない。
半年間の研修の中で、わたしはどんどん
落ちこぼれていきました。

*

勉強についていけない。
そんな不安から逃れることができないまま、
半年間がすぎ いよいよ
配属先が決まる日がやってきました。
入社後初めて赴任する地域。
全国転勤ありの職業のため、北は北海道から
南は沖縄までどんな部署に所属するかわかりません。

その発表で…わたしは秋田県に所属することが
決まりました。
福岡生まれ、福岡育ちで寒さが大のニガテ。
試験勉強もままならない中、
果たして配属先でうまくやれるんだろうか…
不安な中、同期と励ましあいながら
赴任地に出向きました。

*

配属先は、東北営業所。
青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島の
6県の内、わたしは秋田県の県北部を
担当することになりました。
配属先のメンバーといえば、1番近くて35歳。
その次が44歳。あとは全員アラフィフという
なんともアウェーな営業所でした。
おじさまの集団に、小娘が1人紛れてしまった状態。
先輩方に非常に良くしてもらいながらも、
試験勉強や、秋田でうまくやっていけるかと
不安が絶えず
だんだんと元気が無くなっていきました。

そしていよいよ認定試験日。
全く受かる気がしないまま会場に到着し…
試験開始の合図とともに、わたしは固まりました。
本当に、全く何も解けないのです。
問題集に、何が書いてあるかすら読み取れない。
目がチカチカして、頭が真っ白。
指先がカタカタと震えました。
今振り返るとすでに、試験日には明らかに
体調が普通ではありませんでした。
でも、その不調に気づかず会場を後にし…
指先と足先と、震えが止まらなかったことを
はっきりと覚えています。

*

試験が全くできなかったその後。
いよいよ、営業マンとして大切な
施設の引き継ぎも終わり
独り立ちする時がやってきました。
説明会、プレゼンの練習を何度もやり、
得意先の先生の行動パターンをしっかりと頭に入れ…
1人で行動を開始してすぐ、
わたしの体調は悪化し始めました。

朝、起きられない。出勤時間になると
お腹を下しトイレから出られない。
得意先に到着しても、車から降りられない。
最初はただの体調不良かと思っていましたが、
雪が降り出してよりひどくなるように。
夜、眠れない。夜中何度もトイレで起きる。
お腹が痛くてトイレから出られない。
夜中、全く眠れないまま事務所に顔を出す。
事務所に寄る時間が作れないようになり
やむなく得意先に直行直帰し
事務所に顔を出せない日が続き…

気づいたら、試験の合否発表日に。
手元に届いた通知書を開けると、

大きく「不合格」の文字が。

…死にたい…

人生で初めて、死にたい、と涙を流しました。

続く…→〜初めての精神科、適応障害〜

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です